Lisearch

2026/8/8

自治体経営とエフェクチュエーション

「無計画性」をデザインするという発想

先のコラム「脱・バズワードとしての『共創』」で、筆者は市民と行政の共創を、理念としてではなく、手戻りを抑え、意思決定にかかるコストの総体を下げるための、経済的合理性の技術として位置づけた。本稿はその続編として、この実務感覚を支える理論的な補助線を一つ紹介したい。経営学でいうエフェクチュエーションである。筆者は、自治体経営にこそ、この考え方が必要になってきていると感じている。

1. エフェクチュエーションとは何か――「予測」からではなく「手持ち」から始める

自治体経営の作法は、長らく「予測」を前提に組み立てられてきた。将来人口を推計し、10年後のあるべき姿を描き、そこから逆算して施策と資源を配置する。総合計画に代表されるこの発想は、目的をまず定め、その達成に向けて最適な手段を選び取るという意味で、経営学でいうコーゼーション(因果論、目的からの逆算型の思考)に立脚していると整理できる。

一方のエフェクチュエーションは、経営学者サラス・サラスバシーが、熟達した起業家の意思決定の分析から導き出した思考様式である。目的から手段を逆算するのではなく、いま手元にある手段、すなわち「自分は何者か」「何を知っているか」「誰を知っているか」から出発し、行動の中で目的そのものを更新していく。サラスバシーはこれを、手持ちの資源から始める「手中の鳥」、失っても致命傷にならない範囲で試す「許容可能な損失」、想定外の出来事を資源に転じる「レモネード」、関与するパートナーとともに目的を形成する「クレイジーキルト」、未来は予測するものではなく自らつくり出すものだとする「飛行機のパイロット」という5つの原則に整理している。

起業家の理論がなぜ自治体なのか、という疑問は当然ありうる。ただ、エフェクチュエーションが有効に働くのは「未来が予測できず、市場も顧客もまだ存在しない」環境だとされる。人口動態の変化が推計の幅を超えて進み、災害や感染症が計画の改定サイクルを待たずにやってくるいま、自治体が直面している環境は、まさにこの条件に近づいているのではないか。

2. クレイジーキルトとしての自治体経営――市民は「観客」ではなく「縫い手」である

5つの原則の中で、とりわけ注目したいのが「クレイジーキルト」である。クレイジーキルトとは、あらかじめ完成図を決めてから布を集めるのではなく、持ち寄られた端切れを縫い合わせながら、模様そのものが立ち上がっていくキルトのことだ。エフェクチュエーションにおいて事業の目的は、起業家が独りで描き切るものではなく、コミットメントを持って関与するパートナーが増えるたびに、その関与によって形を変えていくものだとされる。

この比喩を自治体に引きつけると、市民参加の位置づけが変わって見えてくる。従来の市民参加の多くは、行政がすでに描いた設計図に対して意見を求める、いわば「計画への参加」として設計されてきた。前稿で筆者は、行政側が舞台を用意し、ステークホルダーに「参加してもらう」という構図の共創は形骸化する、と書いた。この構図の問題は、姿勢の問題である以上に、構造の問題である。完成図が先にある限り、市民の関与が計画の骨格を動かすことは構造的に起こりにくく、だからこそ徒労感と不信が残る。

クレイジーキルトの発想に立てば、市民は完成図への賛否を問われる観客ではなく、端切れ、すなわち地域についての知恵、経験、関係性を持ち寄る「縫い手」となる。「計画への参加」と「計画をつくる参加」。この二つは似て非なるものであり、後者においてはじめて、市民の関与が目的の形成そのものに作用する。そして、予測が効かない環境における自治体の最大の経営資源は、将来推計の精度ではなく、地域にすでに存在する市民の知恵と関係性、つまり「手中の鳥」ではないか。だとすれば市民参加は、経営の装飾でも、合意調達のコストでもなく、不確実な環境を航行するための中核的な経営技術だと読むことができる。

3. 「無計画性」をデザインする

ここで、私が印象に残っている言葉を紹介したい。それは「無計画性をデザインする」という言葉である。

これは、私が、京都市の「京都基本構想」策定の支援に携わっていた際に、基本構想策定に向けて複数回にわたって開催された京都に縁のある若者によって構成される「未来共創チーム会議」の議論において、フォーカスされていた言葉である。

エフェクチュエーションは、ともすると無計画の勧めと誤解される。しかし実際はむしろ逆で、「未来は計画しきれない」という事実を直視したうえで、計画しきれない部分を放置するのではなく、目的が更新されていく回路をあらかじめ設計しておく、という規律のある構えである。期間を区切り、失っても致命傷にならない範囲で試す。試行の中で拾った想定外の声を、例外処理ではなく次の設計の素材として扱う。そして、対話とフィードバックの回路を、取り組みの当初からプロセスに織り込んでおく。計画が「ない」ことと、計画しきれないことを「設計しておく」ことは、まったく別のものである。

例えば、前稿で紹介した豊岡市の開庁時間短縮の試行とそれに伴うオンラインプラットフォーム「シビックとよおか」での市民意見募集は、この観点からも解釈することができる。机上の推計で決め切るのでも、議論だけを重ねて先送りするのでもなく、まず期間を区切って試し、利用者の体験をプラットフォーム上で受け止め、次の運用設計の素材にしていく。「試してから決める」という作法は、まさに設計された無計画性であり、許容可能な損失の範囲で未来を手探りする、エフェクチュエーションの実践だと整理できる。

誤解のないように付け加えれば、これは総合計画のような逆算型の営みを捨てるという話ではない。予測が効く領域では、逆算は引き続き有効である。問われているのは使い分けであり、予測が効かない領域にまで「決めてから聴く」作法を適用し続けることの合理性である。決めてから覆すやり直しは高くつく。だからこそ、決め切らない部分を意図的に残し、そこに市民との対話の回路を組み込むことは、極めて合理的と言えるのではないだろうか。

4. 結び――市民参加は、不確実性の時代の経営技術である

エフェクチュエーションという言葉を借りることの効用は、勘のよい自治体がすでに実践してきたこと、すなわち試しながら決め、関わる人とともに目的を育てていく営みに、名前と設計図を与えられることだと筆者は考えている。

名前があれば、庁内で説明ができ、議会と共有ができ、再現ができる。予測可能性が細る時代に、あるべき姿からの逆算だけを経営の作法とし続けることは、かえって危うい。手元にある資源、とりわけ市民の知恵と関係性から始め、目的そのものを市民とともに縫い上げていく。そのための「無計画性のデザイン」に、筆者は大きな意義を感じている。

Author

この記事の執筆者

栗本 拓幸

代表取締役CEO

2020年にLiquitousを設立、現在は国内外100以上の官公庁・自治体等と連携。市民と行政が共創するプロセスの構想・企画設計・実施を強みとし、一貫して現場マネジメントに従事。 総務省 経営財務マネジメント強化事業アドバイザー、大阪府 合意形成研究会構成員、ハーバード大・デジタル市民参画 MooC アドバイザー