Lisearch

2026/1/26

脱・バズワードとしての「共創」:私たちが経済的合理性から、市民と行政の共創を進める理由

市民と行政の共創は「意思決定コスト」を下げる技術である

地方自治を考えるとき、私はときどき、地方自治法第1条に立ち戻ります。第1条では、地方公共団体の行政は「民主的にして能率的」であるべきだという趣旨が示されています。私はこの並び順から、大きな示唆を得てきました。言うまでもなく能率性は重要です。しかし、能率性だけを追いかけた先に「行政は何のためにあるのか」という問いが残る以上、民主性の担保は単なる付け足しではなく、行政の正統性そのものに関わる条件です。

ここ数年、DXや行政改革をめぐる議論では、能率性が強く問われてきました。処理時間、待ち時間、コスト、標準化、オンライン化・DX。こうした指標で語れる改善は、進めやすく、説明もしやすい。一方で、行政(施策)が民主的であるか、すなわち「誰の納得の上に、どのような手続きを経て、何を優先し、何を諦めるのか」という問いは、能率性の議論だけでは答えが出ません。むしろ、ここを曖昧にしたまま能率性だけを追求すると、あとから反発が噴き出し、説明と調整に時間が奪われ、結果的に能率性すら損なわれることがあります。

2025年の年末から2026年の年始にかけて、インフラの維持管理や地方分権に関するさまざまな報道がなされました。加えて、次の地方制度調査会には、広域自治体と基礎自治体間での行政サービスの役割分担のあり方も諮問されています。こうした局面だからこそ、これまでの主流であった「能率性」を主語にしてきた行政改革のみならず、「民主性」を問い直す新たな行政改革も、改めて取り組む必要が高まっていると考えています。ここで言う「民主性」は、理念としての民主主義を称揚する話ではありません。意思決定の安定性を確保し、やり直しのコストを抑える、いわば「手戻り」を抑止する、行政運営の総コストを下げるための、極めて現実的な営みです。したがって、市民と行政の共創は、理想論ではなく、経済的合理性を追求するための「技術」として位置づけ直されるべきだと私は認識しています。

都市と地方で異なる「共創の必然性」

共創の必要性は、都市と地方で濃淡が異なります。地方部では、公共サービスの主たる担い手の1つである自治体側が人的・財政的制約に直面し、既存事業のスクラップが十分に進まないまま余力が失われやすい状態にあります。同時に、移動やインフラなどの公共サービスを担う民間事業者も市場不成立や担い手不足などを理由として、従前のサービス提供のあり方の見直さざるを得ないケースも少なくありません。結果、官と民の双方が提供しきれない「余白」が生まれつつあると認識しています。

この時点で共創は、あれば望ましいという程度のものではなく、公共サービス全体の持続可能性を担保するために、余白となっている部分を埋めるための「must have(必須)」なものです。。言い換えれば、この状況において、共創は、今後、我が国の様々な地域において、公共サービスを持続的に提供し続けるための手段だと捉えています。

一方、都市部では状況が少し違います。行政サービスも民間サービスも比較的厚く存在し、公共サービスの中での余白はあまり生じません。だからこそ、共創の意義は「余白を埋める」と言うよりも、官と民が協力してそれぞれの強みを活かすことで、公共サービスの質や能率性をさらに引き上げる領域に現れます。

都市部において、共創は“nice to have”に見えるかもしれません。しかしこの瞬間には、その地域において、「nice to have」よりの共創であったとしても、今後十数年間に、自治体のリソース制約が強まるにつれて、より多くの地域で“must have”に近づいていくと考えています。なぜなら、これからより多くの地域が直面しうるリソースの制約により、既存サービスの持続方法、課題の解決方法の模索などにかかる意思決定が複雑になり、結果として説明と調整、やり直しに要するコストが増大するほど、共創は「これらの手続きコストを下げる」手段として必然性を持つからです。

バズワードとしての「共創」はいらない

ここ数年、地方自治体においても「共創」という言葉は、ある種のバズワード(流行り言葉)となっています。しかし、少なくない自治体で、この「共創」という概念が -仮に首長がいくら喧伝していたとしても-形骸化していると率直に感じています。前述の「そもそもこれからの公共サービスのありようが変容せざるを得ない」という前提を共有せず、いわば行政側が舞台を用意し、ステークホルダーは「参加してもらう」「してくれるだろう」というある種の上から目線で舞台を作ってしまっているが故に、作り手側の自己満足だけで終わってしまうケースは散見されます。具体的には、「共創」と銘打って、例えば意見を集めたのに、扱い方が示されない、何かしらに反映されない・いかされない理由が説明されない、行政側から結果だけが提示される。こうした経験は、それでも共創という舞台に関わっていただいたステークホルダー間に、徒労感と不信を生み出します。不信は、共創という舞台を広げたり、その舞台に参加しようというモチベーションを継続することを困難にしますし、結果としてプロセスそのもの周知・説明の工数を押し上げつつも、具体的な成果は得られず、共創という言葉だけが宙に浮いた状態となります。

共創は、そもそも「これからの公共サービスのありようが変容せざるを得ない」という前提を共有した上で、行政側が、上から目線ではなくフラットで、そして対等なパートナーとして共創に参加するステークホルダーに適切にフィードバックをしていく、プロセスの透明性を担保することで、はじめて具体的な成果も得て、尚且つ自ずからその取り組みの必要性が広まっていく「機能する共創プロセス」となるのです。

弊社がさまざまな地域で取り組みを進める中で、弊社が開発するオンラインプラットフォーム「Liqlid」にもしばしば「共創」というラベルが付されます。先述の「機能する共創プロセス」のツールとして、オンラインプラットフォームを活用する上で重要なのは、いわんや、最初から単に投稿欄を用意し、投稿件数や参加者数のみを評価しようとすることではありません。まず、大切なことは、意識的に、論点、制約条件、コスト構造、比較情報、将来見通しを提示し、行政側の課題感をプロセスの中で(つまりプラットフォーム上で)発露し、行政側が何を前提に検討しているのかが分かるようにすることです。こうして初めて、このプロセスに参加する市民などのステークホルダーからすると、プロセスを通した、反映の余地と限界が共有できます。

加えて重要なことは、責任と負担の整理が曖昧なまま共創を唱えるのではなく、勇気を持って、例えば「結局、課題は何なのか」「結局、だれが払うのか」「結局、だれが決めるのか」といった核となるプロセスの設計の与条件を明確にしプロセスを実行することです。こうした核となる情報を共有することなく、お題目として「共創」を唱えるだけでは、具体的なプロセスは動き出さず、宙に浮いたまま、結果として人々から関心を失わせます。

共創を通して、公共サービスの持続可能性を高めるために必要な「線の引き直し」- 将来的なサービスのありよう、負担のあり方、将来的なサービスの担い手を考えること - を進めるためには、「今引いてある線を言語化する」「一度その線を溶かして考える」「新たにもう一度線を引いてみる(引き直し続ける)」ことではないでしょうか。

短期・中長期スパンで予期される共創の価値の変化

私自身、本来、共創という営みは、民主主義的価値観を基盤として語られるべきものと認識しています。いうまでもなく、私はこの価値観を擁護する立場です。しかし、理念的な目標のみを示すのみで、その理念の合理性を語ることなく、その目標を達成するために割くことができる潤沢なリソースはあるのでしょうか。率直に申し上げて、特に地域においては難しい現状があると認識しています。つまり、共創という営みの合理性をしっかりと検討して示すことが重要だと考えています。

私自身、これまで、さまざまな地域で、さまざまな皆さん -自治体の首長や管理職、現場の皆さん、地元企業の皆さんや大学の皆さん、そして市民の皆さんなど- と多く話をしてきました。そうした中で極めて明確に感じていることは、我が国において、「現在の公共サービス」の延長に、公共サービスはない、ということです。だからこそ、 短中期には、厳格な経済的合理性への回帰が進むでしょう。情緒的な支援よりも、ロジックとエビデンスが要求され、わかりやすく因果が説明できない施策は更に厳しく指摘がなされ、削減されうる。その局面で求められるのは、政策と予算、施策と効果の関係を透明化し、説明責任を果たすことです。短中期において、私は、「共創」という営みは、この「透明性の担保」を増進するための取り組みとして進んでいくのではないかと考えています。

長期には、さらに厳しい局面が来ます。人口減少や経済縮小の中で、すべてを維持することが不可能になり、今以上に、撤退戦(もしくは、賢く小さくなり、充実する「縮"充"」への転換)が避けられなくなる。この段階で必要なのは、もはや「透明性の担保」のみならず、論理的に正しい答えをもととした、私たち市民が受容できる納得解をつくることです。トップダウンのみで押し切ろうとしても、コミュニケーションのコストは増大し、公職選挙がある以上、政策的な連続性は今以上に担保できなくなるかもしれません。私はこの局面においては共創という営みの価値「民主主義コストとしての納得解」創出することへと収斂すると考えています。

私が述べた時間軸であるかどうかはともかくとして、共創の営みは、段階的に意味を変えていくでしょう。短期・中期的には、透明化・説明責任の基盤としての共創の営み、長期的には受容できる納得解を生み出すための共創の営みとなるでしょう。しかし、いずれの段階においても、目的は変われども、共創という営みの必要性は変わりません。だからこそ、今から共創の営みを実践するための仕組みを構築し、運用していく必要があると考えています。


私が関わっている実践例――共創を「運用」として回す

ここから、弊社が、そして私自身も関わっている三つの実践を紹介します。いずれも共創をバズワードとしてではなく、これまでに述べてきた内容のニュアンスを含んだ取り組みであることから、特に注目しています。

豊岡市:開庁時間短縮試行――「試してから決める」という作法

令和7年度から、弊社のオンラインプラットフォームLiqlidを「シビックとよおか」として導入した豊岡市(兵庫県)では、プラットフォーム上でのプロジェクトの1つとして、2025年12月1日から2026年3月31日までの4か月間、市役所窓口の開庁時間を9時〜16時30分に試行的に短縮し、実際にサービスを利用された方の体験を、Liqlidへのアイデア投稿として受け止める取り組みが進んでいました。

https://toyooka-city.liqlid.jp/spacem3sh78r0

この取り組みが興味深いのは、例えば、窓口等へのポップアップの設置なども行い、現場でまず声を聞き、その結果を次の運用設計の素材にしていこうとする姿勢にある点です。平日に窓口へ足を運ぶ方にとって、閉庁時刻の繰り上げは、急な所用や仕事の合間のやり繰りの中でじわりと効いてくるかもしれません。一方、普段からコンビニ交付やオンライン申請で済ませている方にとっては、ほとんど体感のない変更かもしれない。同じ自治体の中でも、サービスとの触れ方によって、同じ運用変更の手触りは違って立ち上がります。

自治体の側にもまた、試行を必要とする事情があります。窓口を開けるということは、職員を配置するということです。開庁時間を短くすれば、勤務設計に余白が生まれ、窓口以外の相談や地域に出ていく業務にエネルギーを振り向けやすくなる。しかしそれを机上の計算だけで決めてしまえば、予期せぬ困りごとを抱えた方を取りこぼしかねません。まずは期間を区切って試し、どの層に、どの場面で、どのような負荷がかかるのかを、運用しながら観察していく必要があります。

アンケートの問いも、この姿勢に沿って組まれています。「開庁時間が短くなったことで、どのように感じたか」という体験の言語化と、「代替サービスを利用したか」という行動の把握。同じ世帯の中でも、平日に勤めている方、電子申請で済ませる方、窓口相談が必要な高齢の家族とでは、一つの時間変更の受け止めは大きく違います。感情と行動の双方を粒度を落とさずに受け止めることで、「便利/不便」の二項に留まらず、「誰が、どの場面で、どの代替手段を使い、何が足りないと感じたか」という、解像度の高い論点までデータを開いていくことができます。

豊岡市の取り組みが示しているのは、政策形成プロセスを開くという営みの、一つの現実的な姿です。結論を先に置いた「説得」でも、議論だけを重ねた先送りでもなく、試行を挟み、その運用経験を市民と共有し、評価の物差しを一緒に言語化していく。こうした設計は、実装後の反発や誤解を減らすだけでなく、政策判断の質そのものを押し上げ、手戻りに消える“見えないコスト”を抑えます。合意形成の観点からも、経済合理性の観点からも、理に適った作法だと確信しています。

長岡京市:犬川散策路――情景から始まる公共空間の合理性

長岡京市の開田4丁目から神足3丁目へと続く犬川散策路。歩いていると、季節によっては雑草が思った以上に伸びています。道の端が狭く感じる瞬間があります。足元を見ると舗装に凹凸があり、ベビーカーや車椅子なら気になるだろうと思います。夜になれば照明の明るさや間隔が気になります。少し座って休みたいのに、休憩スペースが少なかったり、座りにくかったりします。散策路は「なんとなく気持ちがいい場所」である一方、こうした小さな不便が積み重なると、足が遠のいていきます。

令和6年度から、長岡京市と弊社は、弊社のLiqlidを用いたオンラインプラットフォーム「Voice NAGAOKAKYO」を構築し、全庁的な活用を進めています。

その一環として、長岡京市では、犬川散策路の整備から約20年が経過し、舗装や照明、休憩スペースなどに傷みや不便さが見えるようになってきたことを踏まえ、リニューアルに向け、「Voice NAGAOKAKYO」で、市民のみなさんの「感じたこと」や「アイデア」を集めて、未来をいっしょに考える取り組みを進めています。
https://nagaokakyo-city.liqlid.jp/spaceu3iut2y8

私自身は、ハード整備というテーマは、共創という営みを実施する合理性が最も分かりやすい領域だと考えています。なぜなら、設計はまだしも、実際に着工・完工したのちには、後戻りが難しいからです。決めてから「違った」となったとき、簡単にはやり直せません。ゆえに、決める前の観測と対話に投資する価値が大きいのです。雑草、凹凸、照明、休憩スペース。こうした体験知を意思決定に組み込むことは、単なる要望受付ではなく、求められない資源配分の実行を減らすために必要な、合理的な情報収集です。求められない資源配分の実行が減れば投資対効果は上がります。

そして公共空間は、整備して終わりではありません。使われ続けて初めて価値になります。市民の愛着が生まれ、使われ方が育てば、長期的には維持管理の投資の検討の前提条件も変わるでしょう。ハード整備における共創の営みとは、整備段階のみならず、整備後にも継続して価値を発揮するものであり、整備後のその場の「価値の向上」や「投資のあり方の検討」までデザインできるものです。

酒田市:まちなかグランドデザイン――合意形成を複線化する

酒田市では、中心市街地の空洞化が進む中、とりわけ中町周辺を再びにぎわいのあるまちにするため、未来の設計図となる「まちなかグランドデザイン」を策定を進めています。

令和7年度から、酒田市と弊社が連携して開設したオンラインプラットフォーム「さかポス」では、この「まちなかグランドデザイン」についても、市が準備したたたき台や素案などを都度公開しながら、市民が意見やアイデアを投稿でき、それに対して「さかポス」上で行政からフィードバックを行う「一緒に酒田のまちなかの未来を考える」取り組みとなっています。
https://sakata-city.liqlid.jp/spacek5jzkkdr

中心市街地活性化というテーマは、景観やイベントだけの話ではありません。土地利用、交通、公共施設、民間投資、暮らしの動線などが絡み合い、時間軸も長い。ゆえに、地域における合意形成や、行政としての意思決定の難易度が高いものです。しかし、合意形成が図られなければ、動きは止まり、エリアへの投資も止まり、結果として機会損失は積み上がります。

酒田市は、こうした発想のもと、「まちなかグランドデザイン」の策定にあたって意見聴取の機会を複線化しています。オンラインプラットフォーム「さかポス」、民間商業施設「無印良品 酒田」で実施する「タウンミーティング」は、一般向け・生徒/学生向けにそれぞれ実施しています。加えて、商店街・団体・不動産事業者・自治会からの個別ヒアリングも実施するなど、「まちなかグランドデザイン」策定過程において、つまり、中心市街地活性化に向けた合意形成に至るプロセスの中でも複数のチャネルを重ねて「偏り」を抑えようとしています。

タウンミーティングの様子

意見の偏りを減らし、プロセスとしての納得感を積み上げ、実装段階の摩擦を抑えつつ、プロセスを通して未来像がステークホルダーに共有されるほど、行政だけでなく市民も民間も動きやすくなっていきます。中心市街地活性化は、公共サービスに極めて近いものではありますが、行政が主となりにくく、民間事業者の積極的な参画が重要です。だからこそ、共創を体現するようなプロセスの設計は時間がかかるように見えて、むしろ極めて合理的だと考えています。


結び――共創は民主主義コストの先払いであり、新たな行政改革である

ここまで述べた三つの事例は、それぞれ違う政策領域に属するテーマであり、なぜ共創の営みが求められているか、その背景も異なります。しかし、「一度決めたあとに、もう一度やり直すことに難しさがある」テーマだという点は共通しています。窓口時間と土曜開庁も、散策路の整備も、中心市街地の再生も、結論だけを出して終わる話ではありません。運用が続き、環境が変わり、またいずれかの時点で、更新や見直しが必要になります。だからこそ、単発ではなく、取り組みの当初から、共創の営みとして、対話、フィードバックの回路を織り込んでいくことに大きな意味があるのではないでしょうか。

私は、共創の営みは民主主義コストの先払いだと考えています。納得解をつくるには時間も手間といったコストがかかります。しかし、そのコストを払わないと、あとでより高くつく局面が増えています。やり直しは高い。摩擦は高い。信頼の毀損はさらに高いものです。ゆえに、先にそのコスト払いませんか。共創の営みを先に設計し、運用し、フィードバックが機能する状態を作る。これこそが、経済的合理性という観点から捉えた、共創の営みの価値です。

不断に行政改革を進めていく上で、能率性を問うことは、何らかの形ではこれからも必要でしょう。しかしそれだけでは、公共サービスの持続可能性は担保しえないという問題意識を強くしています。一見遠回りのように見えても、行政(施策)が民主的であるかを問い、民主主義コストを受容しながら、中長期的な視点から、コストの総体を下げるための回路を実装すること。私はこれを「新たな行政改革」として進めていきたい。私は、この実務をこれからも弊社Liquitousで粘り強く続けていきます。

(文責:代表取締役CEO 栗本拓幸)
注:本稿は、公開情報に基づき、筆者の所感を示すものであり、本稿内で取り上げた各自治体を代表する意見ではありません。

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この記事の執筆者

栗本 拓幸

代表取締役CEO

2020年にLiquitousを設立、現在は国内外100以上の官公庁・自治体等と連携。市民と行政が共創するプロセスの構想・企画設計・実施を強みとし、一貫して現場マネジメントに従事。 総務省 経営財務マネジメント強化事業アドバイザー、大阪府 合意形成研究会構成員、ハーバード大・デジタル市民参画 MooC アドバイザー